ギリシャには、ユネスコの世界遺産に登録された、貴重な歴史的建造物や遺跡が18カ所ありますが、今日ご紹介するデルフィもその一つです。

旦那の会社の社員旅行があったので、行ってきました。(ギリシャで社員旅行があるということが驚き!でした。)

 

アテネから約160キロ北部、中央ギリシャの自然豊かな美しいパルナッソス山中に、この小さな村は位置しています。ここは、日本の世界史の教科書にも出てくる「デルフィの神託」が行われた聖域として有名で、今でも当時の様子を彷彿とさせるスケールの大きい遺跡と、重要な発掘物を多く集めた博物館を見学することができます。下の写真は、当時の様子を再現したスケッチで、上部に描かれているのがアポロン神殿です。

 RIMG0066

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古代、ギリシャが多くのポリス(都市国家)に分かれていた頃、デルフィは「世界のへそ(中心)」と考えられていました。その「へそ」を象徴する当時の発掘物は、博物館の中に展示してあります。

デルフィは、アポロン(秩序と音楽を司どる神)に捧げられた聖なる場所でしたが、紀元前8世紀までにはその神託で有名になり、そのアポロン神殿には、一般人のみならず諸国家の政治的要人までが、政治経済の諸問題についての神託を求めて参拝しに来ました。この神殿は、最初は月桂樹の木で作られていたそうですが、紀元前7世紀に石造りの神殿が建てられ、それから何度となく再建され、現在残っているのは、紀元前4世紀のものです。当時のドーリス式の神殿には、破風に、神々と巨人との戦いやアポロンの彫刻がなされていました。神殿の中には、世界の中心を象徴する彫刻(オンファロス)と黄金のアポロン像があり、神託も神殿の中の半地下で行われたということです。また、神殿の中には、個人や都市国家からの豪華な奉納物が陳列されていました。下の写真は、アポロン神殿跡です。

RIMG0168

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、神託とは「神のお告げ」ですが、一体どのように行われたのでしょうか?日本の「いたこ」の口寄せは、「いたこ」と呼ばれる女性が死者の霊を自分の体に憑依させて、現世の人間と交信させるものですが、このような女性(巫女)が、古代のデルフィにもいました。その巫女はピュティアと呼ばれ、近くのカスタリアの泉で身を浄めた後、アポロン神殿の地下に入り、地の裂け目から出る霊気を吸い込み、月桂樹の葉を噛みながらトランス(憑依)状態に入っていったと伝えられます。そして、ピュティアの口を介して語られる神のお告げが神官によって解釈され、参拝者に告げられたのです。神託を伺う者は特別な税を支払い、身を浄め、生け贄となる動物を捧げる必要があったそうです。この神託は、冬場を除く月1回行われ、紀元前4世紀にビザンティン皇帝によって異教禁止令が出されるまで続きました。紀元前5世紀のサラミスの海戦でアテネ軍がペルシャ軍に打ち勝ったのも、このデルフィの神託によるところが大きいと言われています。デルフィは、政治や戦争時の政策決定にも利用され、世界の歴史をも動かす力を持つ場所だったのです。

 

当時、入り口を入ると、アポロンの神殿に続く「聖なる道」の両側には、様々な都市国家の宝庫や奉納された彫像が並び、宝庫の中にはそれぞれの国家の奉納物が収められていました。シフノス人の宝庫の正面にあったとされる乙女像や、ナクソス人の奉納したスフィンクスを始め、たくさんの奉納品の発掘物が博物館に所蔵されています。アテネ人の宝庫(下の写真)は、美しいドーリス式の建物(紀元前6世紀)で、マラトンの戦いで得た戦利品が並べられていたといいます。

RIMG0143 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、アポロン神殿の少し上には劇場(下の写真、ローマ時代に再建)があり、更に10分ほど坂を上ると、紀元前3―4世紀に建設されたスタジアムがあります。ここでは、4年に1度、アポロン神にささげる「ピュティア競技会」が開かれていたそうです。また、アポロン神殿から下を眺めると、南東方向の山のふもとには、アテナ・プロナイアの神域とギムナシウム(体育場)の跡が見られます。

RIMG0193

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さすがに、古代世界の中心と考えられていた場所、山と緑と清浄な空気に包まれ、自然の不思議なパワーがみなぎっているような気がします。

 

1日1クリックお願いします!→人気blogランキング