http://markethack.net/archives/51888265.html
アテネは、中小の小売店がつぶれていくので、寂しい限りですが・・・
観光客が戻ってきてくれてうれしいです。
でも、スリなどは増えていますので、気を付けてくださいね!
この間は、日本からのお客さんがメトロの中で、ジプシーにスマホをすられてしまいました。混んでいるバスやメトロは要注意!
ギリシャ旅行、アテネ観光情報、 ギリシャウェディング情報 ギリシャ生活秘話、旅行に役立つ裏話、 国際結婚悲喜こもごも、子育て、日々の雑感など
きのうは、ギリシャの独立記念日の祝日でした。
1821年のこの日に、400年にもわたるトルコの占領に対して、ギリシャは独立戦争の開始を宣言し、ついに自由を勝ち取ったことを記念した日です。
おととい、娘の学校ではパレードが行われ、詩の朗読などの祭典が行われました。民族衣装に身を包んだ子供たちが、ギリシャの雄姿、独立の誇りをたたえる詩を読み、歌や伝統的なグリークダンスを披露。
地方ごとにデザインや色が違い、刺繍などが施された衣装、私はとっても好きです。でも、グリークダンスって、どうもリズムの取り方が難しくて、単純なようで、うまくできないんですよね・・
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ギリシャの年末には、子供達が「カランダ」という歌を歌う習慣があります。
「クリスマスのカランダ」は、12/24に歌うクリスマス・キャロルのことで、キリストの誕生を祝う喜びの言葉がつづられていて、トライアングルをたたきながら、何度も何度も、延々と同じ節回しで歌うのが特徴的です。
旧約聖書の預言通り、へロデ王の統治時代にキリストは降誕しました。東方の三博士が星の導きによってベツレヘムの馬小屋にたどりつき、マリア様から生まれた救い主、キリストの誕生のお祝いに、黄金・乳香・没薬を捧げたと聖書に書かれています。この場面をモチーフにしたクリスマスの飾りは至る所で見られ、子供が幼稚園で工作を作ったり、このストーリーで演劇をしたり、この時期には欠かせないものとなっています。
うちの子供達も、そろそろ歌を覚えられる年齢になり、今年はおじいちゃんから「カランダ」のリクエストがありました。孫の成長が一番のクリスマスプレゼントとなると考え、私も必死に練習につきあいましたが、歌詞が古いギリシャ語で難解なため、覚えるのが大変!トライアングルを叩くと歌詞を忘れたり、歌に集中するとトライアングルを忘れたり・・となかなかうまくいきません。節が似通っているのでどこまで歌ったか忘れたり、他の曲と混乱してしまったり。人前で歌うのも勇気がいるようです。
でも、一方、子供達にとっては、やりがいもあるのです。「カランダ」は、実は、子供達にとっては、絶好のお小遣い稼ぎのチャンス!色んな家を次々と回って玄関口で「カランダ」を歌うと、大人達はお小遣いをあげることになっているからです。強者は、クリスマスイブの前日から始めたり(反則ですね!)、100ユーロ以上も稼いだりもします。子供に優しいギリシャ人のこと、つい、天使の歌声に、財布の紐がゆるくなるのですね。子供達同士の情報交換もあるらしく、「あの家の人は、お小遣いをはずんでくれる」と聞くと、そこにたくさん押しかけたり(笑)。
ただ、子供だけで知らない家を回るのは危険なので、大人がつきそったり、知人の家だけ回るなど、注意は必要です。
ちなみに、私もうちの子達も初めての経験でしたが、近所の知り合いを回っただけで、すぐに50ユーロ近く集まり、びっくり!!
この「カランダ」ですが、クリスマスイブと、大晦日と、2回歌う習慣があります。大晦日に歌う「新年のカランダ」は、新年を祝い、キリストを祝福し、アギオス・バシリスというギリシャ版のサンタが来る喜びを歌っています。
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今回は、アテネの中心部で見られる、クリスマスの雰囲気をお伝えしましょう。ギリシャでは、1/6頃までクリスマスモードです。
去年の年末は、暴動が起こってシンタグマ広場のツリーが放火されたり、街中が破壊されたりしたことが嘘のような、今年は穏やかなクリスマスです。本当に、平和のありがたみを実感します。
家族そろって、のんびり街を散歩できることが、「当たり前ではない」幸せなのだということが、分かりました。
さて、今年のシンタグマのクリスマスツリーは、ちょっと色彩的に地味な印象ですが、本物の樹木からできています。小さいツリーをたくさん集めてつなげ、大きなツリーを作ってあり、噂によると、クリスマス後は、どこかに植林する予定だとか・・・夏の山火事で沢山の木を失ったギリシャなので、エコや自然保護の観点からもとても良い案ですね。
シンタグマ広場は、また去年のような騒ぎが起こるのを警戒してか、他に何もありませんが、近くの国立庭園には、こんな可愛いクリスマスの家が建っていて、ギリシャのクリスマスにつきものの、カリカンザロスと呼ばれる木の妖精や、サンタにも出会えます。
入り口で地図をもらい、スタンプを押してもらいながら、お伽の国の森を散歩してみて下さいね。それぞれの家で、子供が顔にボディーペインティングしてもらったり、クリスマスの工作をしたり、サンタの家を訪れてサンタと一緒に写真を撮ったり、願い事を書いてカードを作ったり、クリスマスの劇を見たり・・・と、子供連れの方にはお勧めです。
この庭園は、昔はギリシャ王室の庭だったところで、世界各国から色々な植物や木が集められており、緑がとても豊か。今では一般開放され、市民の憩いの場となっています。小さい動物園やカメ池、遊具の充実した公園、子供用の図書館、カフェなんかもありますよ。(1/6まで 10:00〜17:00)
さて、そのすぐ隣にあるザピオン庭園では、メリーゴーランドが無料で乗れます!白いツリーの両側には、エスキモーの家のようなドームが二つあり、クリスマスの劇や、音楽を楽しむことができます。楽器のドームに入ってみましたが、色んな楽器を子供達が自由に触れられ、音楽と楽器を楽しむイベントが行われています。(1/6まで 10:00〜21:00、イベントは、ほぼ30分ごと)
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毎年、この時期に行われるヨーロッパの歌の祭典、「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」のファイナルが、今年は5月16日(土)、モスクワで行われました。
日本では、あまり知名度がないかもしれませんが、ヨーロッパではかなり大きなイベントで、過去に、アバなどのグループを排出したことでも知られています。イギリスやドイツなどの大国は関心度が低いようですが、大半の国にとっては自国の宣伝に大変有効なので、力も入ります。それもそのはず、優勝した国が、次回の開催国になるからです。政治的に利用されているという批判や、出場国に対する疑問もありますが、今回は54回目、42ヶ国が参加しました。
予選で20ヶ国に絞られ、ファイナルでは、ノルウェー代表のアレクサンダー・ルイバク(Alexander Rybak)の「Fairytale」が、テレビでの視聴者投票と審査員投票の結果、他を大幅に引き離し、圧倒的な得票数で優勝しました。ちなみに、2位はアイスランド、3位はアゼルバイジャン。(上の写真は、第3位までの面々)ハリーポッター似のキュートな若者がバイオリンを弾きながら歌うその歌は前評判も高く、確かに、耳に残りやすい明るくポップなリズム。今、ギリシャでも、ラジオをつければ、しょっちゅうこの曲が流れてきます。一方、期待されていたギリシャは、残念ながら7位に終わりました。
このユーロビジョン、今回、ギリシャ代表で参加したのは、ギリシャのキムタク?(と私が勝手に呼んでいるだけですが)「サキス・ルバス」です。彼は、ケルキラ島(コルフ)生まれ、以前は体操選手という経歴もあり、筋肉質の鍛えられた肉体、その跳躍力やバランス感覚を生かした抜群のダンス、また、並はずれた端正な顔立ちとルックスで、1991年のデビュー以来、多くの女性ファンを魅了し続けています。今まで数々のヒットアルバムを出して多くの賞を受賞。海外遠征、他の大御所との共演、映画主演、CM出演など、とにかく、ギリシャの芸能界をいつもにぎわしている大スターです。2004年のアテネオリンピックでは、閉会式で歌と踊りを披露しました。
ギリシャは、2005年のユーロビジョンで見事に優勝したので、2006年の開催国になったのですが、その時はこのサキスが司会進行役を務め、ミーハーな私も、リハーサルを見学に行ったりしたものです。
実は、今回の彼のユーロビジョン・ソング・コンテスト出場は2回目。1回目は、2004年「Shake it!」というダンスナンバーで、見事に3位に輝きました。そして、今回は「This is our night」という曲で再挑戦、参加各国にも随分プロモーションツアーで周り、もっと上位を狙ったのですが・・・残念ながら、数々の強敵を相手に、7位に終わりました。それでも、42ヶ国中の7位なら、たいしたものですよね。美形故のスキャンダル、アジア女性との噂、など、色々と取りざたされたこともありますが、最近では結婚して女の子の赤ちゃんが生まれ、ちょっと落ち着いてきた感じでしょうか。
とにかく、マスコミ露出度が大きいので、ギリシャに来たら、雑誌の表紙や、新聞、ポスター、テレビ、CD屋さんの店先で、彼の顔を見かけるかもしれません。
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ギリシャの春は、美しく、短い季節です。
天候は不安定ですが、雨も良く降るので新緑は美しく、野草の種類の多さで有名なこともあり、色とりどりの花を、そこかしこで見かけます。
復活祭の頃から、市場に出回る花の種類も急に増え始め、アテネでも、少し郊外に行くと、都会とは思えない場所もあるんですよ。5月も中旬に入るともう夏の日差しで、ああ、今年も、大好きな春が終わってしまったと、ちょっと残念です。
マルーシの森と私が呼んでいる場所は、アテネ北部のマルーシという閑静な住宅街にありますが、あのアテネの喧噪とはかけ離れた楽園です。ここは、アンドレアス・シグロスという個人から寄贈された広大な自然公園で、遊具などは何もありませんが、オリーブ、モモ、ピスタチオ、ブドウ、松などの木がたくさんある自然豊かな森です。電車のLine1のKAT駅を降りて、KAT病院の横の道を10分も歩くと、キフィシアス通りという大通りに行き当たります。そこを渡った真ん前が入り口なのですが、本当に入っていいのかな?と思うほど地味で、一般公開している場所とはとても思えない(サービスがあまり行き届いていない)ところがギリシャらしいです。でも、中に入ると、こんな風景が・・・!!
この赤い花(ポピー)はギリシャ語ではパパルーナと呼ばれ、私の大好きな花です。復活祭の頃に咲くことから、「キリストの血」の象徴とも言われ、なるほど、その色は、あまりにも印象的で心を打つ濃い赤色です。それが、ギリシャのシンボルとも言えるオリーブの木の下に群生し、蝶が舞い飛んでいる様は、もう、夢のような世界。息を呑むほどの美しさです。
(「SYGROU ESTATE」182 KIFISSIAS AVE., MAROUSSI
TEL:210-8011146)
また、この下の写真の可憐な花たちは、「Veikou Park」という、アテネ市内の公園で咲いていたもの。色とりどりの小さな花が群生し、このままのデザインと色合いで、子供のワンピースを作ったらどんなに可愛いでしょう!でも、花の命は短く、2週間もすると、また全く違う風景になり、草茫々、花は枯れて種になり・・・という移ろいの早さです。
5月1日はメーデーでギリシャはお休み。ギリシャでは、この日には、野山にでかけて花を摘み、リースを作るという習慣があります。子供も学校に1輪ずつ花を持ち寄り、全員で大きなリースを作ったと喜んでいました。工作では花の冠を作って頭にかぶり、ご満悦。
うちの周りには、野山もないし、貴重な花を摘んでしまうのも気がひけるので、花屋で購入した日持ちするカーネーションとスターチスでリースを作りました。これは自己流の方法ですが、輪型の発泡スチロールにたくさん穴をあけて、そこに短く切った花を挿していくだけ。簡単なので子供も大喜び。これを、水をはった大皿の上に浮かせておけば長持ちもするし、真ん中にキャンドルでも浮かせれば、立派なデコレーションになります。普通は、ギリシャでは、バルコニーやドアのところにリースを飾ります。
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2週間の復活祭(パスハ)気分も一段落。今週から学校も始まり、通常モードのギリシャです。
先日の4月19日は、ギリシャ最大の宗教行事であり、春の到来を祝うお祭りでもある復活祭(パスハ)でした。世界的に経済危機や不景気が蔓延していますが、ギリシャも例外ではありません。
例年は島や田舎に旅行に行き、伝統的な復活祭(パスハ)を楽しむ人も多いのですが、今年は、どこにも行かず、家でのんびり過ごすという人も多かったようです。実家に帰省したり、別荘で過ごす人もいるので、復活祭前後のアテネは、いつもの車の渋滞もなく、静かで過ごしやすいですよ。人々は、「カロ・パスハ!(良い復活祭を!)」と言い合って、休暇に入りました。
今年も、我が家はアテネ残留で地味パスハでした。
でも、派手なことをしなくても、季節の良さも手伝って、パスハの休日は充分楽しめます。パスハ前の週はメガリ・エブドマダと呼ばれ、人々は復活祭の日曜日に向けて、色々な準備をします。
我が家の場合は・・・
水曜日は、青空市場(ライキ・アゴラ)に出掛けていき、食材と一緒に、季節の花をたくさん買い込みました。花は、市場で買った方が花屋よりも断然安いのでお勧め。この季節らしく、教会に寄付する花環も売っています。
木曜日はイースターエッグの染色。家で簡単に卵の染色ができる粉が売っているので、今年は、赤、青、黄、緑の4色に挑戦。更に、小さい卵も欲しいという子供のリクエストに応えて、うずらの卵も染色してみました。(ちなみに、赤色がキリストの血を象徴すると言うことで、正式らしいです。)
金曜日は、キリストが十字架からおろされて、埋葬された日とされるので、キリストのお棺に見立てたエピタフィオスを教会に見に行きました。この日、ギリシャ正教の教会ではどこでも、美しい生花で装飾されたエピタフィオスを安置し、人々はそれに接吻し、祈りを捧げます。うちの子供達も、自宅からお花を持参し、その棺の周りに供えてきました。
1日中、街中に、教会の悲しげな鐘の音が響き渡ります。夜になると、そのエピタフィオスを担いで、司祭と葬送行進曲を奏でる楽隊を先頭に、葬儀の行列が街をねり歩き、ろうそくを手にした信者達の列が後に続きます。
そして、いよいよクライマックスの土曜日の夜。この日は、ちょっと日本の大晦日に似ています。深夜に教会に行くため、子供達にも昼寝をさせて鋭気を養い、用意したランパダと呼ばれるろうそくを持って夜中の11時半に出発。近くの教会は、もう黒山の人だかり。12時になり司祭がキリストの復活を告げると、人々も「フリストス・アネスティ(キリストは復活せり)!」と口々に言い合い、皆、笑顔や抱擁で喜び合い、エルサレムから空輸された聖なる火を教会から貰い、消えないように気を付けながら、大切に家に持ち帰ります。人混みの中、服や髪の毛を焦がさないように、溶けた蝋でやけどをしないように、鳴り響く爆竹の音で耳を痛めないように・・・と、かなり危険も伴いますが、やはり、この日ばかりは、信者でない私も感動してしまう特別な日です。
本来なら、パスハ前は、一家の主婦として、パスハのご馳走用の買い物に奔走しているべきなのですが・・・ギリシャ風に、ツレーキというパン、マギリッツァという内臓スープ、羊肉などのパスハ用の食事を用意するのはかなり大変なので、我が家は手抜きでデリバリー。レストランよりもずっと経済的です。
パスハの日は、レストランも予約で一杯、サービスが遅かったり、肉がさめていたり・・・ということも少なくないので、デリバリーを頼んで自宅でやるのも良いですよ。いつも料理をしてくれる義母に休んで貰うという意味もあり、今年もパスハ当日の食事は、我が家で義父母を招待して行い、リラックスした、大満足のパスハ休暇でした。
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今年のギリシャ正教の復活祭は4月19日です。ちなみに、カトリックは、1週間前の4月12日です。
キリスト教という大きな枠はあっても、各国で、復活祭の習慣は、微妙に違うようですね。
復活祭からさかのぼって一週間、この期間は、メガリ・エブドマダ(big week)と呼ばれ、それまで続いてきた食事制限が更に厳しくなります。学校はこの週から2週間休みに入ります。
メガリ・テタルティ(復活祭前の水曜日)には、教会では聖油の儀式が行われます。聖職者が聖書を詠み、浄められたオリーブ油で、信者の額、頬、手などに十字架を切りながら、祈ってくれます。その聖油は、心身の病を癒すと言われています。
メガリ・ペンプティ(復活祭前の木曜日)は、ユダの裏切りにより、キリストが十字架に架けられた日と見なされています。教会では、朝からずっと厳粛な儀式が行われますが、一方、一家の主婦は大忙しです。この日に、復活祭用のパンやクッキーを焼いたり、卵を染色する習慣があるからです。復活祭のパンは、ツレーキと呼ばれ、ほんのり甘く、三つ編み型やドーナツ型の大きなパンの中に、赤いゆで卵が埋め込まれます。このパンは普段でも売られていますが(普段はもちろん赤卵なしです)、香辛料が独特の風味を醸し出し、お勧めです。クッキーはクルラキと呼ばれ、昔懐かしい味で、さくさくとしておいしいです。
また、卵の染色は、なかなか楽しいイベント。昔は、自然の植物素材で染色していたようですが、今では、スーパーで、専用の染色剤が売っています。
これは、固ゆで卵を作った後、粉をお湯にといて酢を入れ、それにつけて数分待つだけの優れもの。染色後、つや出し液を塗って磨くと、素人でもかなり良いできばえの赤卵のできあがり!これに、シールを貼ったり、お湯に入れると収縮して張り付くデザイン付きのスリーブを巻いたり、絵心のある人は、絵や模様を描いたり・・・と、子供も大喜びです。子供と言えば、幼稚園で、ウサギと卵の工作をしたり、復活祭に使うキャンドルの装飾をしたり・・・と、着々と復活祭準備を進めています(笑)。本来は、赤の染色が正式らしいですが、今では、青、黄、緑・・・など、色んな色の粉が売っています。もっとも、今はスーパーで染色済みの卵や、模様を施した卵が既製品として売っていますので、どれだけ、家で染色する人がいるのか分かりませんが。卵形やウサギ型のチョコレートも、この時期、ケーキ屋さんや、スーパーでは欠かせません。
ちなみに、ギリシャでは、イースターエッグを隠して探すという遊びは行われていないようです。この赤卵は、イコノスタシオ(聖画台)と呼ばれるイコン(聖像画)の置かれた棚に供え、一家の厄よけをし、子供を守るという習慣や、妊婦が流産しないようにするお守りとして使うこともあるそうです。イコノスタシオは、日本の神棚や仏壇に似た感じがしますね。
さて、この春の到来と新しい命を象徴する卵ですが、かごに入れて飾っておくだけでも華やかで、復活祭の雰囲気が盛り上がりますが、復活祭の当日は、運試しの遊びにも使われます。2人がそれぞれ卵を持ち、卵の端と端をぶつけあって、殻が割れないで残った方が勝ち、というようなゲームです。この赤卵、中身も食べて良いとされていますが、白身にまで赤い色がしみていることが多いので、なんとなく食べる気はしません。でも、捨てるのは気がひけるので、我が家では、割れた卵は、いつも公園の鳩のご馳走となっています。きっと、鳩にも御利益があるでしょう!
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3月25日は、ギリシャの大切な祝日、独立記念日でした。
ギリシャが、14世紀頃から続くオスマン帝国(トルコ)支配時代に舐めた辛酸は相当なもので、「自由を!さもなければ死を!」をスローガンに独立戦争を開始した1821年は、忘れてはならない年です。独立記念日は、ギリシャ国民にとって、大変な犠牲を払って勝ち得た自由と平和の価値を、再確認する日です。青と白の、いかにもギリシャらしい国旗が街中にたなびいていました。
今年も、シンタグマから始まるパレードに行ってきました。国会議事堂前での式典の後、11時過ぎから始まり、1時間ほど続く恒例のパレード。パレードの通るパネピスティミウ通りは、オモニア広場まで黒山の人だかりです。国旗を手に握りしめ、民族衣装に身を包んだ子供も見かけます。
次々と目前を通り過ぎる迷彩色の戦車、ジープ、消防車、救急車、船・・・空にはヘリコプター、戦闘機、偵察機の実演飛行。陸・海・空軍、警察、鼓笛隊、消防隊、など、真剣な面持ちで行進するパレードは圧巻です。耳をつんざくような戦車や戦闘機の轟音は、テレビでは実感できない体験です。ちなみに、ギリシャは、今でも男性は兵役があります。
軍隊のパレードとは対照的に、微笑ましいのは、子供達のパレードです。小太鼓のリズムに合わせて、国旗を持って行進する子供達。各地域を代表する民族衣装や、歴史的英雄・チョリアス(国会議事堂前に立っている兵隊)の衣装も華やかです。
子供達は、幼稚園から、独立戦争に関する詩や歌、英雄について学びます。工作で、英雄の顔の額を作ったり、兵隊さんの帽子を作ったり、国旗を作ったり。歌の内容はかなり難解で、独立戦争時に、いかにギリシャ軍が勇敢に戦ったかを物語風に伝える歌、国旗を称える歌、愛国心を表す歌、戦争の悲惨さを歌った歌、など、様々です。幼稚園児が鼻歌まじりに歌っていると、ちょっと不気味ですが・・・自分の国の歴史を次世代に伝えていくというのは、大切なことだと思います。
ちなみに、うちの娘が学校の式典で暗唱した詩の内容は、次のようなものでした。
「もう忍耐の限界だった。ギリシャ軍一丸となり、トルコを撃退した。
ギリシャ人は、自由なしでは、決して生きていけない!」
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ギリシャでは、生活のリズムは、ギリシャ正教のカレンダーによって決められているといっても良いでしょう。
カーニバル(アポクリエス)の季節が終わり、渡り鳥の燕が帰ってくると、ギリシャでは本格的に春の到来です。
先日3月2日は、カサリ・デフテラ(清浄な月曜日)と呼ばれる祝日でした。この日を境に、今年は4月19日に当たるパスハ(復活祭)まで、メガリ・サラコスティ(四旬節)という期間に突入します。
四旬節は、動物系の食事を制限する節食期間で、キリストの死を悼み、復活祭を静かに(?)待ち望む期間です。現在では、忠実に守っている人は少なくなっていますが、肉、魚はもちろん、牛乳、卵なども基本的には禁止です。
四旬節の最初の日、カサリ・デフテラには、ラガーナと呼ばれる細長く、平べったいパンを食べ、イカ・タコ・エビなどの甲殻類はOKなので、シーフードを食べます。今年も、我が家はなんとかの一つ覚えで、同じプサロタベルナ(シーフード専門のレストラン)で楽しみました。
また、豆料理や、セモリナ粉とゴマで作った濃厚なお菓子・ハルヴァスなんかも良く食べます。
今年のカサリ・デフテラにアクロポリス周辺に散歩に出掛けたら、暖かい陽気だったので、レストランの野外席は満員。みんな、おいしいシーフードに舌鼓を打っていました。こういう風景を見ると、節食・・・というイメージはないですね。シーフードは値段が高いので、節食というよりは、かえって贅沢な食卓です。
この日は、凧を飛ばす習慣もあるので、アクロポリスの上空に、小さく凧も見えていました。あれ、凧を撮ったはずなのに、ちっとも写ってないですね(苦笑)。
タベルナ(食堂)やファーストフードの店、パン屋にいたるまで、この四旬節には「ニスティシモ」と呼ばれる、節食中の人向けの限定メニューができます。うちの旦那も、早速、チーズ抜きのピザや、肉抜きのポテトピロシキなどのパンを買って食べていました。お菓子屋さんでさえ、クリームやバターを使わないこの期間限定のお菓子を用意します。
ちなみに、この期間、私も旦那専用のメニューを考えるのが大変なのですが・・・例えば、我が家では、豆のスープ・サラダ、スパナコリゾ(ほうれん草のリゾット)、プラソリゾ(ネギのリゾット)、ゆで野菜のサラダ、野菜のオーブン焼き、貝のスープ、タコやエビのパスタ・・・などを作ったりしますが、健康的でダイエットにもなるし、一年に一回位は、こういう期間があっても良いものですね。
長女が幼稚園で作ってきたこの紙人形は、「サラコスティ婦人」と呼ばれ、7本の足を持っています。これは、パスハまでのカレンダーのようなもので、1本の足は、1週間を表しています。節食を象徴するように、口は描かれず、カサリ・デフテラから毎週土曜日に1本ずつ、足を切り取ることになっています。(間違えて、2本目の足も、もう切ってしまった!!)そして、復活祭前日の土曜日に最後の7本目の足を切り取って、晴れてパスハ(復活祭)を迎えます。そして、最後にこの紙人形をイコン(聖人を描いた絵)の祭壇の下に飾るという習慣が、ヒオス島やその他の地域にあるそうです。うちには、あいにくイコンはないですが・・・
空腹のためにお腹を押さえ(?)、しんみりした感じがする可愛らしい人形です。
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ギリシャでは、2月末はカーニバルの期間にあたりますが、カーニバルといえば、日本語では「謝肉祭」!。
ギリシャでは、カーニバルの期間内に、「チクノペンプティ(肉を焼く煙の匂いのする木曜日)」と呼ばれる肉を食べる日があり、今年は2月19日で、うちも、恒例の店に押しかけました。
この日は、ギリシャ人は皆こぞって、肉を食べに出掛けます。肉専門のレストランは「プシスタリア」と呼ばれ、炭火を使った肉料理が本当においしいので、肉を食べたい時にはお勧めです。
まずは、羊肉の内臓を串にグルグル巻き付けてあぶった「ココレッチ」。ほろ苦いレバーの味が絶品ですが、ちょっと好き嫌いが分かれる味で、店によって、当たりはずれが大きいです。
ギロと呼ばれるものは、初心者向け。下の写真のような肉を大きなナイフでこそげとって細かくしたものです。
かなり塩味が強いのですが、ピタ(下の写真の薄いパン)やトマト、オニオンなどと一緒に食べるとなんともおいしい一品です。ピタを油なしで焼いてもらうと、さっぱりして香ばしく、日本人の好みに合うと思います。街角では、ピタの中にギロの肉と野菜などを一緒に巻き込んだ物がファーストフードとして良く売っていますが、これは結構お腹にもたまるし、安いので小腹がすいた時にお勧めです。
パイダキャと呼ばれるのは、羊のリブ肉です。あばら骨ごとかぶりつき、肉を歯ではがしながら食べる姿はちょっとワイルドで、手も口の周りもベタベタ・・・自分が野獣のようになった気分ですが、これがまた美味。レモンをかけて食べれば、それほど気になりませんが、かなり油っぽいので、後で胃がもたれる可能性も・・・
旦那も私も、食べた後はすぐ胃薬を・・・(苦笑)
そうまでしてでも、食べたい一品です!
日本では、羊肉は匂いが気になると敬遠される方も多いですが、ギリシャの羊肉(アルニ)は全く臭みがなくおいしいので、是非、試して頂きたいと思います。カチカキと呼ばれる山羊の肉も、おいしいです。
プシスタリアは、あまりおしゃれな雰囲気ではないところが多いので、とにかく、味と値段優先で。
ワインも比較的安く、一人20ユーロ位で、充分楽しめると思います。
ちなみに、今回の会計は、大人4人、子供2人、たらふく食べてワインも飲んで、合計75ユーロ!お値打ちでしょ?
ふと考えると、毎年、同じようなことを書いているような気がする私。
でも、明らかに違うのは、旦那のお腹がかなり恰幅良くなってきたこと、それから、子供の世話をあまり焼かなくてもすむようになったこと!これは大きな違いです。やっと、最近は外食しても、少しは自分の食事を楽しめるようになりました。子供の成長を感じます・・・
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マラソンの発祥地であるギリシャにて、アテネ・クラシック・マラソンが11月9日に開催され、女子部門では、見事、日本の田上麻衣選手が2時間36分58秒で優勝しました!男子部門では末次巧幸選手が2時間17分10秒で7位に食い込みました。ちなみに、男子1位はケニアの選手で、2時間12分42秒の新記録を出して優勝しました。
優勝した田上選手、目標とする選手は、あの2004年アテネオリンピックで優勝した野口みずき選手とのこと。その野口選手と同じコースを走り、野口選手の記録より10分ほどの遅れでゴール、見事に優勝した田上選手。夢と目標に、どんどん近づいている感じですね。競技後のコメントとして、「今年は4回もマラソン大会に参加して疲れていたけれど、このアテネのコースも、事前に一部走ってみて、その厳しさを実感していたので、本番で抑制したことが勝利につながりました。」というようなことがギリシャの記事で書かれていました。現地新聞にも田上選手のゴールの写真入りで、記事が載っていました。どうも、このアテネのマラソンコースは、日本女性選手と相性が良さそうです。
今年も、通常の42.195キロコースの他、ちょっとそこまで自信の無い方用に、10キロ、5キロのプチマラソンもあり、全世界から1万人以上の選手が集い、参加したとのことです。
今では世界中で愛されているマラソン競技ですが、その起源は、紀元前5世紀の「マラトンの戦い」です。第一次ペルシャ戦争で、ギリシャ軍とペルシャ軍がマラトンの地で戦い、数的にも圧倒的不利な状況から一転、ギリシャ軍が勝利しました。この喜びのニュースを一刻も早くアテネの市民に伝えるため、足の速い伝令がマラトンからアテネまでの長距離を必死で走り、アテネに到着してギリシャ軍の勝利を伝えた後、力尽きて息絶えたという英雄伝があります。この伝説が元になってマラソン競技が始まったのです。
アテネ・クラシック・マラソンはこのマラソンの起源となった歴史的コースを走るもので、スタート地点は、ギリシャ東海岸沿いのマラトン市、ゴールはカリマルマロと呼ばれる、アテネにあるパナティナイコ・スタジアム。途中坂が多く、かなり厳しいコースです。ちなみに、ゴールになるこのスタジアムは、1896年に第1回近代オリンピックが開催された記念すべき場所で、2004年アテネオリンピックでも、マラソンのゴールとなった所です。(下の写真は、2004年オリンピック時のスタジアムの様子)
そして、アテネ・クラシック・マラソンよりもずっと知名度は低いのですが、ギリシャには、もう一つのマラソンの国際大会があります。それは、1983年から始まった超長距離マラソンの「スパルタスロン」。こちらは、第1次ペルシャ戦争の際に、アテネ軍の伝令フィディピデスが、援軍を求めるためにスパルタまで走り、往復約500km近くを4日で駆け抜けたという故事が起源となっています。
その名前が示す通り、こちらは、アテネからスパルタまでの約250キロの距離を36時間以内に走るウルトラレースで、標高1100mのサンガス山越えなどがあり、完走率も低い厳しいサバイバル競技です。今年は9月27、28日に行われました。コースも苛酷だし、出場資格条件も厳しいことから、少人数の戦いになっていますが、いつも日本人の参加が多いのが驚きです。開催地のギリシャや近隣のヨーロッパ諸国の出場者よりも、日本の選手数の方がずっと多いのです。
そういえば、ギリシャは、公園でジョギングしている人もあまり見かけない反面、日本人はマラソン向きな性質なのかもしれません。発祥地ギリシャよりも、マラソンに賭ける情熱は日本の方が上かもしれませんね。
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10月28日は、ギリシャの国家記念日(祝日)でした。
通常「オヒ・デー」と呼ばれていますが、ギリシャ語で「OXI(オヒ)」というは
「NO」の意味です。
圧倒的に不利な状況であったにもかかわらず抗戦の道を選択し、イタリア軍と厳しい山岳戦を闘い、最後には見事にアルバニア国境を越えて撃退した、記念すべき日なのです。誇り高いギリシャ魂と、自由への強い意志を感じるエピソードです。ギリシャには、「自由か、さもなければ死を!」という、独立戦争時の有名なスローガンがありますが、これはギリシャ人の気質を象徴しています。
さて、この日は祝日で、様々なギリシャの街でパレードが行われますが、この日の数日前には、学校でもパレードやお祭りが行われる習慣となっています。まだ意味も良く分からない幼稚園の頃から、こういう行事が行われるということによって、自然と愛国心が育ち、歴史に興味を持たせることができるのですね。この記念日に関する歌も多くあり、かなり難しい歌詞なのですが、語呂が良くできていて節が単調なので、子供は、お経のようにすぐ覚えてしまいます。学校のイベントでは、これらの歌を合唱し、生徒が一人ずつ詩(台詞)を斉唱したりします。
ギリシャの有名な詩人、ソロモスの「自由への讃歌」が原詩となってできたギリシャの国歌や「国旗」という歌では、ギリシャ人の自由への熱い思いを歌い、「ドゥーチェ(ムッソリーニ)が軍服を着る」では、イタリア軍との山岳戦で、ギリシャ兵がいかに勇ましくイタリア軍を撃退したかを歌い、「ギリシャは決して死なず」という歌では、ギリシャの栄光と威信を歌っています。
長女の幼稚園では、当時の新聞のコピーをくれ、「家でこの日のことを話し合って下さい。」との宿題が!(私には歯が立ちませんね。)ムッソリーニやメタクサ将軍の写真などが載っていました。
ちなみに、幼稚園年長の長女と保育園に通う次女も、園のイベントで言う台詞をもらってきましたのでご紹介しましょう。ギリシャは演劇発祥の地ということもあり、小さい頃から、人前で台詞を言う機会や、演劇の催しがとても多いような気がします。こうやって、度胸がついていくのですね。
長女の台詞
「この記念すべき日、一同集え、国旗を高く掲げよ、志を高く持て!」
次女の台詞
「全ての民が、今日、私たちと共に祝う。偉大なる我々の祝祭、我々の勝利をたたえよ!」
さて、聖ディミトリオスとは、どんな人だったのでしょうか?
聖ディミトリオスは、ギリシャ第二の都市、北部テッサロニキの裕福な家庭に生まれ、青年時代にはローマ軍に従事していましたが、キリスト教に出会って洗礼を受けてからは、教義の流布、宣教の道に励んでいました。
しかし、当時、ギリシャを支配していたローマ帝国の皇帝マクシミアノスは、キリスト教を弾圧していました。
そして、皇帝がテッサロニキを訪れ、聖ディミトリオスの噂を聞くと、彼を牢屋に投獄してしまったのです。しかし、聖ディミトリオスは、牢屋の中でさえ、宣教の道を諦めませんでした。
当時、ローマ帝国支配の時代には、皇帝の娯楽のために、様々な競技が開催されていましたが、千客万来のあるスタジアムでレスリングが行われた時、当時の怪物レスラー、リエオがキリスト教徒に対戦を挑みました。
「キリスト教徒のやつは、相手になるぞ。誰でもかかってこい!キリストとやらの力を借りて、俺に打ち勝ってみろ!」怪力・巨人の彼の前には、恐れて誰も志願しませんでしたが、遂に、ネストラという若者が、キリストが冒涜されることに堪えられず、戦う決心をしたのです。
彼は、こっそりスタジアムを抜け出し、聖ディミトゥリオスが投獄されている牢屋に行き、彼から神の祝福の力を授けてもらい、帰還しました。戻ってきた彼は、自信満々に「俺が相手になる。キリストの力を借りて、お前に勝ってみせるぞ!」と挑みました。そして、試合が始まって最初の一撃で、なんと怪物レスラーを倒し、相手は息絶えてしまいました。キリストの力が勝利したのです。
この結果に激怒した皇帝は、ネストラと、祝福を与えた聖ディミトリオスを死刑にしてしまいました。
信者は悲しみにくれながら彼をお墓に埋葬しましたが、そのお墓から、没薬(もつやく:古代から、薬や香の材料として珍重されてきた樹脂、救世主の象徴とも言われる)がしみ出てきたという伝説があります。そして、後に信者は、テッサロニキに壮大な聖ディミトリオス教会を建て、街の守護神として崇め、現在では、毎年10月26日に、彼を偲んで、盛大なミサが行われるようになりました。
実は、このお話は、長女が幼稚園でもらってきたプリントを訳したものです。長女と一緒に、私も、一緒にギリシャの勉強をさせてもらってます。
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前回の続きです。
アテネ・フェスティバルで「モーリス・ベジャールに捧ぐ 東京バレエ団とシルヴィー・ギエムの共演」を見に行ってきました。
夏のアテネの芸術祭は色んな会場で行われていますが、遺跡の劇場をそのまま使用するヘロディス・アッティコス音楽堂は、私の一番大好きな会場です。日本のアーティストも多く招聘され、最近では和太鼓のコンサート、蜷川氏の演劇なども上演され、好評を得たところです。
この劇場は、アテネで建設されたペリクレス音楽堂、アグリッパ音楽堂に続く3個目の音楽堂で、AD160年から174年にかけて、ギリシャ人の富豪、ヘロディス・アッティコスが、死去したレギラという妻を偲んで建立した建築です。ローマ時代の建築様式である半円形の形状、階段状の大理石の座席を持つこの劇場。半径は38メートル、ファサード(前方のアーチ形の窓のある壁)の幅は28メートルで収容人数5000名ほど。当時は屋根があったそうで、ファサードの窓が明かり取りになっていたそうです。
さて、シルヴィー・ギエムのソロはもちろん良かったですが・・なんといっても、この日のクライマックスは最後のプログラム、ラヴェル作曲の「ボレロ」に合わせて踊るギエムと東京バレエ団の群舞。
ギエムが踊る、真ん中に据えられた赤くて丸いテーブルが、まるで日の丸の旗のようでした。だって、周りをかこんでいるのが上半身裸の日本男児、総勢数十名!でしたから。その赤いテーブルの上で、ギエムがソロを踊り、あのボレロの単調な繰り返しのリズムに乗って最初は静かに、そして楽器の種類、音量が徐々に増していくにつれ、ギエムの踊りも熱を帯び、周囲の日本男児ダンサーが、二人位づつ徐々に椅子から立ち上がり、踊りに参加していくスタイル。私は、もちろんオペラグラス持参でしたので、ドキドキしながら細部をずーーーっと覗きっぱなしでした。
ギエムの卓越した表現力と体のしなやかさ、存在感は言うまでもなく、あの美しい長い髪をなびかせながら踊る姿に、観客の目は釘付けです。この吸引力がスターの証なんですね。
でも、それとともに日本人男性ダンサーの素晴らしさも印象に残る舞台でした。踊りはもちろんですが、なんといっても、あのつるりとして輝ける、筋肉の割れた美しい肉体!上半身は何も着ていなかったのですが、何よりも本人が引き立つ最高の衣装でした。多分、脱毛エステでもしているのでしょうね、脇毛も胸毛も一本もなく汗もあまりかかず、爽やかな風を思わせるものでした。顔も、ジャニーズ系のかっこいい人が多かったような気がします。なんだか、同じ日本人として誇りに思いました。踊りは見られなかったけれど、日本人女性ダンサー達も、後ろに一つに結んでおろした長い黒髪(付け毛?)が印象的で、とっても可愛らしかったです。
素敵な夜をありがとう!
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この半月は、子供関係の用事、家事雑事、歯医者、結婚式の仕事などで予定がたてこむ中、連日の猛暑で消耗するばかりでしたが・・やはり、自分のための時間を持って「感動」すると、元気が戻ってくるようです。
毎年楽しみにしているアテネ・フェスティバル。6月、7月に行われる、このアテネの夏の芸術祭では、様々な会場で、コンサート、バレエ、オペラ、演劇、などのイベントが目白押しです。
アテネフェスティバルHP: www.greekfestival.gr
きのう行ったのは、「モーリス・ベジャールに捧ぐ、東京バレエ団とシルヴィー・ギエムの共演」
去年亡くなった偉大なるフランスの振付師、モーリス・ベジャールの振り付け、日本からのバレエ団、去年のアテネ・フェスティバルで大ファンになったシルヴィー・ギエム・・ときたら、行かないわけにはいきません!でも、プログラムをチェックする暇もなく、チケットは買いそびれていたので、当日に思い立って旦那に子供を預け、タクシーを飛ばして、アクロポリスの麓、ヘロディス・アティコス野外音楽堂へ。
当日券はあるかなあ、と心配しながらの外出でしたが・・・やはり、人気のプログラムらしく、当日券は皆無(涙)。日本だったらダフ屋も登場するところだけれど、アテネでは見かけません。個人で、余ったチケットを持った人を探すべく、チケット売り場の前で、ウロウロ・・・あちこちで、チケットとお金のやり取りをしている人たちを見かけたけれど、タッチの差で、私の前にはそういう幸運はやって来ず・・・それに、一番安い30ユーロの席を買おうと思っていたから、100ユーロや60ユーロの高いチケットは買えないし。
9時半の開演の時間を過ぎ、遂にチケットを持った観客はゲートに吸い込まれ、待合い場所となっていた劇場前の広場も消灯されひっそりと静まりかえりました。無情にも入り口は閉鎖され、仲間はずれ、おいてきぼりをくったような寂寥感・・・
それでも、満月が綺麗な気持ちよい夜だったので、20分位、壁越しに漏れてくる音楽だけを聴きながら外をブラブラして、さ、諦めて帰ろうか・・と帰途につく階段を下り始めたところ、「エクスキューズミー」と呼び止められた私。振り向くと、若くて美しい天使が二人!!一人は金髪のノーブルな顔立ち、もう一人は黒髪のエキゾチックな顔立ち。外国人にしては小柄で華奢、ナイーブな感じの二人は、いかにも、ベジャールが好みそうな美少年なのでした。
「20ユーロのチケットが一枚あるのだけれど、欲しい?」と話しかける金髪君。その子が、私と同じようにウロウロしながら当日券を探しているのは知っていたので、「どうして自分で見ないの?」といぶかしげに聞くと、「友達の分が手に入らなかったからさ。一枚じゃダメなんだ。」と相方の方をチラリと見た。「ふーーーん。」と答えた私の頭の中では「20ユーロのチケットなんてあったかしら?ああ、学生割引料金のやつね。そんなので私が入れるのかな?いくらなんでも、学生と言うにはかなり無理がある年齢・・学生証を見せろと言われたらアウトだな」と色んなことを考えながら、まあ、ここまでわざわざ来たんだから、イチかバチかで行ってみるか。と思い、彼に20ユーロを渡して、握りしめていたちょっと皺になったお宝のチケットを受け取り、劇場の方にまた急いで戻りました。幸い、案ずるより産むが易しで、入り口の人も何も言わずに通してくれ、最初の東京バレエ団の演目が見られなかったのが残念だったけれど、かなり前の方の良い席で、残りのプログラムを、たった20ユーロの破格料金で堪能できたのでした!ああ、なんてラッキー!
パリオペラ座バレエ団のスターである男性ダンサー2人が、マーラーの曲にあわせて、絡み合うように踊る演目がありました。見つめ合ったり、手を取り合ったり、微笑みあったり、ケンカをするようなしぐさをしたり、離れたりくっついたり・・・そして、最後は、一人がもう一人の手を引っ張るようにして暗闇に消えていくエンディング。バネのような完成された肉体全体、しなやかで繊細な手指、顔の表情、視線・・・すべてを通して醸し出される、不思議で濃密な二人の世界。なぜか、先ほど、チケットを譲ってくれた美少年二人の姿が、重なって仕方ありませんでした。あの二人にも、見せてあげたかったなあ、と、ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちがまぜこぜになって・・・感慨もひとしおでした。
長くなったので、続きはまた次回に。
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アテネは30度を超える暑さで、なんと、海に初泳ぎに行ってしまいました!といっても、長女の友達のネームデーのパーティーに呼ばれ、そのついでにちょっとチャプチャプしただけ・・・なんですが。
場所は、前にも一度お邪魔した、アテネから一時間ほどの東側の海岸線にある、ラフィーナ港近く別荘です。
ネームデーというのは、ギリシャ語では「オノマスティキ・ヨルティ」と呼ばれ、誕生日よりも大切にされる名前の記念日です。ギリシャでは、聖人にちなんだ名前が良くつけられます。通常、子供の名前は、洗礼の時に、男の子は祖父の名前、女の子は祖母の名前をそのままもらうことになっているので、同じ名前が何代にも渡って継承されることになります。ちなみに、うちの旦那といとこは、同姓同名で紛らわしいのです!そういう背景もあって、ギリシャでは、名前を何かに登録する場合、父親の名前も聞かれます。これは、同姓同名が多いので、混乱や間違いを避けるためです。ある人は、自分宛に来た小切手を、同姓同名の同居のお祖母さんに横取りされた、とぼやいていました(苦笑)。
ギリシャでは、各聖人を祝うネームデーがたくさんあり、自分の名前と同じ聖人の日は、誕生日よりも重要視されるので、親しい人のネームデーは、毎年ちゃんとカレンダーでチェックしておかねばなりません。というのは、この日には、パーティーをしたり、電話で「フロニャ・ポラ(おめでとう!)」と祝う習慣があるからです。ですから、こちらの手帳やカレンダーには、今日はどの聖人のネームデーかというのが書いてあるものが多いです。
(月ごとの、ネームデーの
一覧表)
ギリシャでは、男性ではヨルゴス、ヤニス、コスタス、女性はマリア、エレニなどの名前が多いです。聖人ではなく、神話の人物、古代ギリシャや過去の偉人にちなんだ名前もあります。アフロディテ(ビーナス!=美の女神)やクレオパトラ、ソクラテス・プラトンなどの哲学者の名前の人もいて、先人の印象が強すぎて名前負けしそう・・と人ごとながら心配になったりして。
このネームデーには、祝われる本人が、お菓子を皆に振舞うという習慣もあります。だから、会社などでも、ありふれた名前のネームデーには、甘いものが氾濫します。ギリシャのお菓子は、一般的に、日本のものよりもかなり甘いですから、ギリシャ人が太りやすいというのもうなずけますね。そして、ケーキ(甘い物)屋さんは、そういう需要があるので繁盛しているのです。
そういう背景のある、ネームデーのパーティー。1階のガレージの卓球台(!)をテーブル代わりにして、ご馳走も並び、うじゃうじゃと人が集まりました。子供も20人位いて、泣いたり叫んだりケンカしたり、風船を割ったり、お花のスープを作ったり、海に行ったり・・・と何が何だか・・・頭痛がする位の混乱状態でしたが、楽しかったです。
でも、こういうパーティーは、呼ぶ方は大変ですね。この多人数を招待して、色々アレンジして、食事の用意と掃除と、送迎と、帰りのプレゼントと・・・ああ、私にはちょっと荷が重くて無理そうなので、我が家は内輪にします。
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前日は、夜中に長女と教会に繰り出し、「カリ・アナスタシ!」とキリスト様復活の日を祝い、厳粛な気持ちになり、聖なる火を頂いてきました。ここまでは通常通り。小雨もぱらついて、お天気には恵まれませんでしたが。
そして、日曜日の復活祭のご馳走を楽しみにしていた私たち。復活祭前は、動物系の食事を節制する期間(サラコスティ)があるので、喪が明けたように、復活祭の日は大手を振って、たらふく肉を食べまくる日でもあります。といっても、私や子供は、全然節制していませんでしたが、しばらくお腹の調子が悪かったこともあって、節制せざるを得ない状況にあり、この日は何があっても食べるぞー!と食欲を露わにしておりました(苦笑)。
この時期、家族4人、旅行でもするとなると、GWかお盆の旅行のように、混み合うし値段も高いし・・・で大変。ということで、今回のパスハもどこへも行かず、アテネに残留。復活祭の日は、店も閉まってしまうことが多いので、主婦は復活祭の伝統料理を用意しないといけません・・
マギリッツァと呼ばれる羊の臓物と米のスープ、羊の丸焼き、ココレッツィと呼ばれる羊の臓物を串に巻き付けて焼く料理などが伝統的ですが、私も義母も疲れ切っていて、今回は義父母を我が家に招待して、肉は店からデリバリーにしましょう!ということに落ち着きました。うちの旦那も、義父も、誰かに負担のかかることはしたくないという理解のある人で幸いでした。私は、復活祭柄のテーブルクロスを用意しただけでラッキー!まあ、その前の掃除が大変でしたが。
しかし・・・事は、そう簡単には運びませんでした。デリバリーを注文したのは義父。プシスタリアと呼ばれる肉の専門店。アルニ(羊肉)とパイダキャ(リブ)とギロとココレッツィと・・・山ほど注文して、我が家に昼の12時半に届く予定が・・・・・待てど暮らせど届かず・・・お腹をすかせた子供たちも「早くお肉――!お腹空いたーー!」と叫び、大人たちも、次第にイライラして話もはずまず、昼にたくさん食べるために、朝食はほとんど食べていなかったため余計に空腹は募り、怒りがムラムラと湧いてきます。ああ、せっかくの楽しいはずの復活祭が・・・(涙)。ベランダに出れば、他の家から、肉を焼くおいしそうな匂いが漂い、よだれが出そうです。
悪いことに、義父が、注文したお店の電話番号を持ってくるのを忘れて、お店の名前もはっきり分からないのでフォローの電話を入れることもできず・・・1時間ほど待ったあと、仕方なく、旦那が義父の家まで走り、電話番号を見つけて「どうしたんだーーー!」と憤りをぶつけたところ、なんと、その注文を書いた紙をなくしたとか、忙しくて間に合わないとか言い訳をし、結局何にも用意していないとのこと・・・・唖然・・・・・「あと30分で届ける」と言ったそうですが、そんなの無理に決まっているじゃない(怒)!!この日は、そうでなくても他の店は休みが多く、スタッフは少なく、注文は通常の何倍にもふくれあがっているのだから、間に合うはずがない。そして、旦那が家に戻ってきて、待つこと30分、それでもやっぱり来ないので、飢えたオオカミたちの胃袋はもうこれ以上待てず、子供は仕方なく、用意してあったサラダとパンだけをむさぼり、「あーー、これじゃ、肉が来ても入らないよーーー」というような食べっぷり。
「できないのなら、お客さんに迷惑をかけないように、最初から、できないから店まで取りに来てくれとか言うのがプロってもんじゃないのか!」と怒っていた義父も、やがて諦めモードで、「もう来ないかもしれないなあ、来ても夜かな・・」とか「そう言えば、去年も、郊外の店に食べに行った時も、混んで混んで、ちっとも肉が来なかった」「チクノペンプティ(肉を食べる日)とか、カサリデフテラ(シーフードを食べる日)とか、皆が同じ行動を取る日は、店もてんてこ舞いで、パニックになってるんだ。」
やがて、自分が電話番号を忘れたという負い目もあるのか、無言になり・・・そこへ、義母が建設的な一言。「これで一つ勉強したわね。来年は早い時間に注文するとか、取りに行くとか、直前に電話を入れるとか、もうちょっとうまくできるでしょう。」
一方、もう、期待できないと悟った旦那は、「外で調達してくる」と外へ狩りに出掛けて行き(昔の狩猟民族の家長みたいで格好いいー!)、ほんの15分位で、近くのタベルナの開いていたところから(去年はそこで食べた)おいしいお肉をたっぷり仕入れて来てくれました。
それこそ、その時の旦那は「英雄」でした!!!!!いい匂いの漂うアツアツの袋を両手に帰ってきた時は、拍手喝采!!!そして、お皿やナイフフォークや飲み物も用意周到にして待ち受け、いきなり、肉に食らいつく飢えたオオカミの様な私たち・・・手づかみで、食べる頬張る・・・。
お陰で、写真を撮る暇もありませんでした(苦笑)。でも、そのお肉のどれもおいしかったこと!!!今年初めて食べた、子羊のレバーというのが絶品で、柔らかくて本当においしかった。
皆も、やっと平静と笑顔を取り戻し、「さっきの店のデリバリーが来たとしても、きっと、半生でおいしくなかったろうよ。」「このお店は、おいしくないと思いこんでいたけど、間違いだったわ。」と、ポジティブな感じになってきたところに・・・来客を告げるブザーが鳴り響いた。そう、2時半にもなって、注文から2時間も遅れてデリバリーが到着。旦那は、インターフォンごしに、「何を今頃!もう間に合ってるからいらないよ。」と追い返したのでした。相手も、「分かりました」とすごすごと引き下がったようです。まあ、仕方ないですね。これがパーティーか何かだったら、もう終わってる時間ですからね・・・・こちらも勉強になりましたが、店側もちょっと勉強してもらいましょう。
何はともあれ、ほとんど残さずたいらげ、みんな満腹になり、思ったよりも安く済み、終わりよければすべて良し!の復活祭当日でした。やれやれ。
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きのう、4月27日はギリシャ正教の復活祭(パスハ)でした。復活祭前後は、子供の学校が2週間ほど休みになるので、親達はかえって忙しくなってしまいます(苦笑)。
このところ、自分や家族の体調がイマイチで、低空飛行の毎日でしたが・・・今年もパスハが家族揃って無事に迎えられて良かったです。家中を綺麗に大掃除して、夜中に教会に行って気持ちを新たにするところなど、なんとなく、日本で新年を迎える気持ちと似ています。
子供と一緒にいる時間がたくさんあったで、今年は卵の染色をしてみました。イースターエッグと呼ばれ、赤い色はキリストの血を、卵は新しい生命を象徴すると言われています。最近では、スーパーで染色済みのゆで卵を売っているので、家でやる必要もないのですが・・・長女は、この手の作業が大好きで大喜びです。本来なら赤色に染色するのが伝統ですが、それにこだわらず、家では他の綺麗な色で染色したり、色んな模様を描いたり、シールを貼ったりして楽しみます。卵染色用の粉が売っていて、その染料と酢を入れたぬるま湯に固ゆでした卵を3分ほどつけて乾かした後、専用の液をつけて磨き、つやを出すと、こんな風に綺麗な卵ができます。
その後、スリーブと呼ばれる熱湯につけると縮むビニールの絵柄を卵に巻き付け、おたまに卵を乗せて、沸騰した鍋の中につけると・・・あら不思議!ビニールがシュッと縮んで卵になじみ、魔法のようにデザイン付きの卵のできあがり!これは、大人でもなかなか楽しめます!他にも、シールを貼ったりして、色々な模様の卵ができました。
さて、この卵で何をするかというと・・・他の国では、卵を隠して見つける遊びが有名ですが、ギリシャではやらないようです。ギリシャでは、パスハの食卓で行われる習慣として、赤い卵をぶつけ合う遊びがあります。(投げてぶつけるわけではありませんよ!)赤く染色したゆで卵を各自が一つずつ持ち、「キリストは復活せり」「真に復活せり」と言いながら、卵の頭とお尻を同席の相手の卵と順々にぶつけ合い、最後まで割れないで残った人が勝ち(幸運?)というゲームのようなものです。これも、結構盛り上がり、最後にバリバリになった卵は皮をむいて、うちの場合は鳩の餌にします。
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3月25日はギリシャの独立記念日でした。
ギリシャが、1821年から始まった独立戦争を経て、何百年にもわたるトルコ支配から独立したことを祝う重要な記念日です。
「自由か、さもなければ死を!」というのが当時のスローガンでした。今のギリシャの自由は当たり前のことではなく、先人が、血と汗と涙と誇りで勝ち取った、かけがえのないものなのだということを思い出す日です。
25日当日は祝日で、アテネ中心部では、軍隊による大規模なパレードが行われました。この祭典の一貫として、学校では、3月25日前後に、生徒達のパレードや行事が行われます。
祭典では、ギリシャの旗を持ってパレードをしたり、ギリシャ各地の昔の民族衣装を着たり、独立記念日にちなんだ歌や国歌を唱和したり、ギリシャダンスを踊ったり、詩を詠んだりします。ギリシャの国歌は「自由への讃歌」というD・ソロモスの詩から取られたものですし、ギリシャの国旗は独立戦争時の軍旗が元になっているということからも、この独立記念日の重要性が分かります。
民族衣装というのも、やはり、国家のアイデンティティーとして象徴的な役割があるのでしょうね。日本の民族衣装、着物も素敵ですが、ギリシャの民族衣装も地域性があってとても綺麗です。特に、刺繍は伝統的に高い技術があり、昔の貴族の人の衣装や結婚式の衣装など、特別なものはかなり精巧で美しい手刺繍が施されています。
もちろん、学校行事で着る民族衣装などは、それほど品質の良い物ではないですが、この時期になると、仮設で民族衣装をレンタルする店ができ、大人用から子供用まで、色々レンタルできます。各地の民族衣装だけでなく、昔の将軍の制服や、初代女王アマリアスの衣装(下写真右)、チョリアスと呼ばれる若い兵隊さんの正装(下写真中央)もあります。チョリアスの正装は、白いプリーツスカートと刺繍付きベスト、帽子とボンボンのついた靴が特徴で、本物のチョリアスはアテネの国会議事堂の前で見ることができますし、一緒に写真を撮ることもできます。1時間ごとに衛兵交代の儀式も行われます。
民族衣装に興味があるならば、バシリス・ソフィアス通りのベナキ美術館、スタディウ通りの国立歴史博物館でも見られます。国立歴史博物館は、特に独立戦争時代の資料が豊富で、当時の軍人の肖像画、写真、勲章などが多数展示されています。
博物館前には、独立戦争の英雄であるコロコトロニ将軍の騎馬像が目をひきます。この将軍はギリシャのヒーローで、色んな所で彫像などを見かけます。
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3月24日に、ギリシャのオリンピック発祥地、オリンピアにて、2008年北京オリンピックの聖火採火式が行われました。
そもそも、オリンピックは、その聖地オリンピアのアルティスと呼ばれる神聖な場所で4年に1度行われた、ゼウス神に捧げる祭典でした。紀元前8世紀から行われたその祭典では、力や技に自信のある個人や都市国家(ポリス)の威信と名誉を賭けて、肉体と精神の最高峰を目指す競技が繰り広げられていたそうです。当初は、男性だけが参加や観戦を許されていました。
そのようなオリンピックが、今まで、政治に利用されたり、戦争で中断されたり、コマーシャリズムに支配されたり、薬物問題が取りざたされながらも、現代まで世界平和と協調に貢献する大会として継承されていることは、ギリシャの誇りとなっています。
オリンピアは、ペロポネソス半島の西北部にあり、緑豊かな風光明媚な土地でしたが、去年の夏の大規模な山火事のため、かなりの部分が焼け野原と化してしまいました。オリンピアの遺跡も一部被害を受けたり、博物館近くまで火の手が迫っている映像は、かなりショッキングでした。前回、2004年アテネオリンピックの際の採火式の様子をテレビで見た時、なんて美しい場所だろうと感動していたので、その自然が失われたことが残念でなりませんでした。
採火式の日は、あの周囲の自然が今どのように復活しているのかに一番興味があって、テレビの前に釘付けになっていました。
いつもと同じ、オリンピアのヘラ神殿前での採火式。まず、周囲の自然が、前と同じように美しく映っていたのに感銘を受けました。青々とした芝生、新緑の木々、この地区の再生に尽力したとは聞いていましたが、山火事の傷跡は、少しも感じさせない美しさでした。
まあ、テレビには綺麗なところしか映さないのでしょうけれど・・・
そして、彫りの深い顔立ち、豊かな黒髪を結い上げた巫女の女性達が、ドーリス式の円柱が残る遺跡のそばで、優雅に揺れるプリーツの衣装を身につけて行う、荘厳な儀式。演劇のようでもあり(実際、その巫女達は女優さんです)古代の世界にタイムスリップしたかのような錯覚。
採火は太陽光を特殊な鏡(上写真)で集めて行われます。お天気にも恵まれ、乱入者のハプニングもありましたが・・無事に採火できました。もし天気が悪くて採火出来ない場合は、前日のリハーサルで採火したものが使用されるそうで、ギリシャ内でも、万が一のため、予備の聖火が保管されます。
聖火はアテネオリンピックのテコンドー銀メダリストである第一走者の男性選手のトーチに点火され、中国の北京へと、長い長い聖火リレーの旅へと出発しました。
ギリシャ国内では、1、528キロの距離を605人の走者が7日間かけて走り、3月30日にアテネのパナシナイコスタジアムに到着する予定です。スタジアム内では、2004年アテネオリンピックのギリシャ人メダリスト達がリレーし、最後に、北京オリンピック委員会へとバトンタッチすることになります。
そしてその聖火は、8月8日、「鳥の巣」の愛称を持つ、北京オリンピック メインスタジアムの聖火塔に点火されるまで、世界各国を巡る長いトーチリレーの旅に出ることになります。
それにしても、平和の祭典とは裏腹のことが現実には起こっていて、儀式中にチベット抗議活動家の乱入があり、そのことの方が世界的にニュースになってしまい、複雑な思いです。
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アポクリエス(カーニバル)も終わってしまいました。
うちの子供達の仮装は、今年はこんな感じでした。(右の二人)
長女は「眠れる森の美女」次女は、「三銃士」。次女はやんちゃなので、男の系の格好が良く似合います。調度、お姫様と護衛の騎士、という感じで良いペアになりました(笑)。その格好で幼稚園でビュッフェパーティー(子供だけ)をやったり、長女の幼稚園のクラスメイトの誕生会に行ったり、バレエ教室の仮装パーティーに行ったり、義父母と共にレストランへ行ったり・・色々、衣装も活躍しました。
この長女のクラスメイト(赤いつなぎを着た右側の子)は、トゥリアンダフィロス つまり、「薔薇」という名前の少年です。このギリシャ語は、「30枚の花びら」というような意味にも取れますが、実際に薔薇の花びらを数えてみたら、なーるほど、30枚くらいありましたよ!
こちらでは、子供の誕生パーティーは、ペドトポスと呼ばれる遊具付きカフェ(最近、日本でも親子カフェというのができてきましたよね)で行われることが多いです。ここなら、家が破壊される心配もなく、料理に頭を悩ませることもなく、掃除もしなくていいし、子供達が飽きることもなく(子供の面倒を見てくれるスタッフがいます)、時間も制限つきだし、本当にママにとっては大助かりの場所です。
こちらはバレエ教室のパーティーです。奥の方に見えるカウボーイ風の人と、チャイナドレスになぜか日本髪のかつらをつけているのが、バレエの先生ですが・・やっぱり勘違いですね(苦笑)・・
バレエ・・といっても、適当に踊ってるだけですが・・ひとり一人、自由に踊る場面もあって、中には才能の片鱗を見せている子もいましたね。そうそう、一番上の写真の左に映っている子は、ブレイクダンス風の踊りが上手でした!うちの子は・・・ユラユラしているだけでしたが。
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ギリシャのカーニバル、アポクリエスもこの週末で終了。先週末のザピオンの風景です。
今週末まで子供向けのイベントをやっているので、ギリシャの天使達を見たかったら今週末ザピオンへ!シンタグマ広場、斜め前の国立庭園のすぐ隣です。
ザピオン横には、素敵なオープンカフェもあります。今は混んでいて大変ですが、いつもはゆったりとして、公園の緑と、リカヴィトスの丘を眺めながら、くつろげるお勧めカフェです。
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去年のことになってしまいますが・・年の瀬の忙しい時期に、旦那の知り合いの娘さんの結婚式があったので行ってきました。
私の仕事は、日本人観光客のために、アテネでの海外挙式(プロテスタント式)をアレンジしてアテンドするコーディネーターですが、実は、ギリシャ正教の結婚式をじっくりと見る機会がなかったので、喜び勇んで出掛けました。思えば、初めてギリシャ正教の結婚式を見たのは、ギリシャ語の学校の先生が結婚した時だから、もう6年前・・・
場所はネオ・プシヒコという場所にあるアギア・ソフィアという大きくて立派な教会。中の壁画もすばらしく、前の広場も、花嫁が入場するのにふさわしい、広いスペースがあります。
開始時間19時に10分も遅刻して到着した時には、200人くらいの人が集まって、寒い中、外で花嫁の到着を待っていました。ギリシャでは、結婚式は夜にやることが多いようで、どうしてかというと・・・その後、続いて夜通しのパーティーをやるからですーーーー!さすが、夜更かしの得意なギリシャ人です。
花で飾られた車に乗って花嫁がやっと到着し、お父様と一緒に腕を組み、美しい花嫁が、ランプでロマンティックにライトアップされた長い緋毛氈の上を、いそいそと教会の入り口まで進む・・・まるで、どこかで見た映画のようです。
そして、教会の入り口で待ちかねていた花婿に、お父様が大事な花嫁をたくし(この場面は、他人でもうるうるしますね・・・)、挨拶をかわした後、教会内に入場。
その後の式の進行は下記のとおりです。
婚約の儀式:讃美歌(ギリシャでは女性コーラスはなくて、男性だけの荘厳な歌です)の後、司祭が新郎新婦の指輪を持ち、それぞれの額の前で3回十字を切った後、指輪の交換。ギリシャ正教では、右手の薬指に指輪がはめられます。これは、慈悲を与えるのは神の右手であり、キリストを天に導いたのも神の右手だったからだそうです。その後、クンバロスと言われる介添人夫妻が、3回指輪を交換。この交換の意味は・・・夫婦の一方がもう一方の弱点や不完全なところを補いあうことが必要だということを象徴しています。儀式の中で、色々な行為を3回繰り返す意味は、神と子(キリスト)と聖霊の「三位一体」の象徴です。夫婦の忠誠、調和、愛をお祈りする司祭の祈祷で婚約の儀を終了します。
婚姻の儀式:この二つ目の儀式は、讃美歌、祈祷、冠(ステファナ)の交換、聖書の朗読、杯の交換、祭壇の周りを回る儀式、祝福、と続きます。
冠(ステファナ)の交換が、この儀式のクライマックスとなるわけですが、この冠は丸い金属の輪で、美しい飾りがついていることが多く、新郎と新婦の分、二つが、結婚を象徴する白いリボンで結ばれています。それを、司祭が聖書の前で清め、十字を切ったあと、3回、新郎新婦交互にかぶせ、その後、介添人も3回、ステファナを交換し、結婚の儀式の証人となります。
新約聖書の朗読があったあと、杯の交換・・・つまり、ワインの入った一つのグラスを互いに飲む儀式があります。これは、日本の三三九度に似ているなあ、などと思ったのですが、由来は、聖書の一節にあります。キリスト様が参列した婚礼で、水をワインに変えたという聖書の逸話から来ているらしく、一つのグラスから飲むという儀式は、人生において、喜びも悲しみも一緒に分け合う、夫婦一如の人生を表しています。
司祭が、結婚による一体化を象徴するように新郎新婦の両手を合わせます。そして、クライマックスである祭壇の周りを3度回る儀式の時には、招待客から一斉に歓声とライスシャワーを浴び、司祭に導かれ、夫婦最初の一歩を踏み出すことになるわけです。祭壇というのは、神の言葉の書かれた聖書と、キリストによって人々が救われたというシンボルである、十字架が置かれたテーブルです。この周りを歩くことは、彼らの歩む、神とキリストを中心とした世界が象徴されているわけです。この儀式の間、結婚生活の中で、愛する者のために、自分を犠牲にしても尽くすという無償の愛を謳う讃美歌がバックで歌われます。介添人も、ステファナが落ちないように押さえながら、新郎新婦の後ろを黒子のようについて回ります。
最後に、司祭がこのステファナを新郎新婦からとりはずした後、幸福で実りの多い結婚生活が末永く続くことを神に祈り、神だけが二人を分かつことができるという夫婦の宣言することで儀式は終了します。
人がたくさん居すぎて、近くで写真が撮れなくて残念でしたが・・雰囲気は伝わったでしょうか。
私自身、結婚式の仕事をしているわけですが・・・・他人の結婚式を見るたびに、我が身を振り返り、初心に戻り、旦那を大事にしなければいけないなあ、と思います。最近は、子供にばかり目が行って、旦那のことがなおざりになっていることを反省する私でした。
長くなってしまったので、次回、続きを書きますね。
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「ギリシャ村の午後」と題した、ギリシャファン集合(?)のチャリティーコンサートが、日本で下記の通り開かれるそうです。
ギリシャ音楽やダンス、ギリシャに関するおしゃべりを、ギロをつまみながら楽しんでみませんか?
主催・企画:『百年の木の下で』プロジェクト
問い合わせ・申し込み(先着順40名)
hyakunen-noki@hotmail.co.jp
協力:kompania ILIOS, ギリシア研究会“パレア”
レストラン スピローズ
会場:ギリシャレストラン スピローズ 六本木店
(港区六本木3-15-24森川ビル2F)
Tel:
会費:2500円(500円は寄付となります)
ギロとワンドリンク付(追加は実費)
日時:2008年2月17日(日)
午後2時から5時(開場午後1時40分:乾杯
詳しい記事はこちらです。http://blog.goo.ne.jp/lesvosolive/e/bf0781ec3573cf0a39c2190020cdd589
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ギリシャの新年の習慣に、ヴァシロピタというケーキの切り分けの儀式があります。
家族、会社、組織などのメンバーで、ひとつの丸いケーキを切り分け、中に隠してあったコインが当たった人が、その年のラッキーな人物となります。その切り方にもルールがあって、家族なら、家長が家族の人数分プラス、アギオス・バシリス(ギリシャのサンタクロース)、キリスト様、マリア様、家全体、などの分も加えて等分し(誰の分を入れるかは、家によって違うかもしれません)それぞれのお皿に取り分けて頂くのです。
家で焼く人もいますが、お菓子屋さんには、年末から、新年の年号を書いたこのケーキがどこでもたくさん売り出されます。だいたい、表面に真っ白な粉砂糖が、雪のようにまぶされていますが、ケーキではなく、ツレーキという甘いパンのバージョンもあります。(下の写真はツレーキ)
我が家のコインは、今年は、長女に当たりました。コインというのは、だいたいアルミ箔に包まれた5セント(8円位)のコインです。少ないお年玉ですが・・・(苦笑)、もちろん喜んでいました。
会社などでは、高額の賞金や豪華賞品が当たるところもあるらしいです。新年の運だめし・・といったところでしょうか。
(切り分けたヴァシロピタと5セントコイン)
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きよむーらん