今、アテネ一番の話題は、6/20にオープンしたばかりの素晴らしい「アクロポリス博物館」!!

博物館の説明をする前に、今回は、アクロポリスの歴史をちょっとご紹介しましょう。

 

アクロポリスとは、ギリシャ語で「(古代)都市の一番高い場所 の意味で、ギリシャの様々な都市で、古代から城塞・神域・権力者の住居などに利用されてきました。その中でも、アテネのアクロポリスは最も有名で、ユネスコの世界遺産に指定された、アテネのシンボルとなっている丘(海抜155m)です。

 

新石器時代(紀元前4000年〜)から人が居住し、ミケーネ時代(紀元前15―12世紀)には王の宮殿や城壁がありました。その後、ポリス(都市国家)の時代(紀元前8世紀)には神域となり、現在残っている建築物は主に紀元前5世紀から2世紀に造られたものです。

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現在アクロポリスの丘に残っている遺跡の中で最も有名なパルテノン神殿(写真上)は、アテネの都市の名前の由来ともなっている「アテネ女神」を奉る壮麗な神殿です。アテネの黄金時代を築いた大政治家ペリクレスの命で、紀元前5世紀頃、イクティノスとカリクラテスの設計により建設されました。今は白っぽい大理石の色が残っているだけですが、当時は美しく彩色されていて、フィディアス作の12mとも呼ばれる黄金と象牙のアテナ像が中に安置され、その他にも信奉者からの奉納品である素晴らしい彫刻や贈答品を所蔵する豪華絢爛な神殿で、様々な祭儀が行われる市民の信仰の対象でした。

 

丘の上には、パルテノン神殿の他にも、下記のような重要な遺跡があります。

1)プロピレア(神域への入り口となる西側の前門)

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2)アテナ・ニケ神殿(カリクラテスの作である「勝利のアテナ」を意味するイオニア様式の神殿)

 

3)エレクティオン神殿(エレクテウス王にちなんで名付けられ、カリアティデスと呼ばれる、6体の優雅な乙女像がポーチに配されている。現在、エレクティオンの屋外にある彫刻はレプリカで、オリジナルは、博物館内に展示)

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このアクロポリスですが、破壊と略奪の歴史に彩られ、今、この形で残っているのが奇跡的とも思える位です。4―5世紀、ローマ帝国の支配下ではキリスト教が国教になったため、破風部分を破壊し十字架を配してキリスト教の教会に改築され、15世紀からのトルコの支配下では、今度はイスラム教のモスクに改築されて使用されました。でも、一番致命的な打撃は、火薬庫としても使用されていたために、17世紀にヴェネチア軍の砲撃を受けて破壊された時でした。

 

また、19世紀には、トルコ統治時代の大使であったイギリスのエルギン卿が、フリーズ(神殿上部の、帯状浮き彫り彫刻部分)の半分と、破風部分を壊してイギリスに持ち帰ってしまいました。その彫刻群は、今では大英博物館に所蔵されていて、ギリシャ政府は、何十年にもわたり返還を迫っています。

 

このような波瀾万丈の歴史を持つアクロポリスの丘。その古代からの建築物、彫刻、日用品など、世界の至宝とも言える発掘物が一同に集められたのが、この「新アクロポリス博物館」なのです!!
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