2006年03月23日
「物乞い」に対して思うこと
1) アート系: ギターやアコーディオンを弾きながら歌を歌う
2) 身体障害者系: 自分の体の一部を見せ(腕がない、足がない、やけどの跡など)同情を誘う
3) 幼児同伴系: 乳飲み子を抱えた母親が、ミルク代をせがむ
4) ジプシーの子供系: 単にお金をせがむか、ティッシュ、花などを売りにくる
5) 家族が病気系(演劇系):「家族が重病で手術をしないと助からないがお金がない」と切々と涙ながらに訴える
6) 無気力系: 何もせず、何も言わず、ただ道に座っている
いつも彼らにお金をせがまれる時に、「どうするのが一番良いのか」と自問してしまう。特に、子供が来た場合、最近は小銭をあげてしまうことが多い。やはり、自分に子供ができて、あれが自分の子供だったら
と思うと、身につまされるからだ。
お金をあげるのに反対意見は、「学校へ行ったり、働く気がなくなり自立の機会を奪うから良くない」とか、「お金は裏組織のマフィアの手に渡ってしまうだけだ」とか、「怠け者にあげるお金はない」とか、「根本的な解決にならないから」とか色々あるだろう。どの意見も一理あると思う。
でも、例えば、物乞いをしている子供が、稼ぎが少ないせいでマフィアの親分(あるいは実の親)に体罰されたりしないですむなら、または、そのお金でパンなど買って、空腹でひもじい思いをしなくてすむのなら、数ユーロ位あげたっていいじゃないかと思ったりもするのである。私の中でもいつも心は揺れ動いている。
あるカフェで、4〜5歳の子供が、テーブルごとにお金をせがんで回っていた。その時、私はあげなかったのだが、遠くに座っていた黒衣に身を包んだギリシャ正教の聖職者(パパス)のところに子供が行った時、彼の行動をつぶさに見ていて感動した。
まず、子供の頭の上に何度も十字を切って祈り、それから優しく語りかけ、最後に何かを手渡した。それが、コインだったか食べ物だったかは分からなかったが、少なくとも、子供の顔に笑顔が見えた気がした。何よりも痛ましいのは、そういう子供たちの目はよどんで光がなく、笑顔も忘れているということだ。辛い人生の中で、たまにはいいこともあるんだ、と思ってくれるのなら、少しくらい、祈りや言葉やお金を与えてもいいのではないか?センチメンタルな甘い考えだろうか?自己満足だろうか?
私はキリスト教ではないけれど、あの聖職者の行動が印象に残り、影響を与えている。
あなたはどう思いますか?
(写真はギリシャ正教会)
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この記事へのコメント
パリでは、幼児同伴の東ヨーロッパ系の物乞いが素足で座っていましたが、足の裏がすごく綺麗でした。(これはマフィアが絡んでいる説が正しいと思う。子供は借り物という噂も・・・)
私も時々お金をあげることがありますが(特に老人)、これは自己満足の域を出ていないような気がする。何もしないのが心苦しいから・・・
特に子供の場合、お金をもらうのが当然になってしまっていて、何もあげないと捨て台詞を吐いて去って行く子供もよくいる。彼らはお金をくれる人に感謝しているのでしょうか?
難しいところです。
いつも自問自答している気がします。
でも、もうじきパスカ!
クリスマス、パスカ時期は誰もがドーロを受けるギリシャの習慣があるので、迷わずドーロとして渡せる時期でもありますよね。
子供が借り物といのは、良く聞きますね。ということは、どれも演劇系ということになるのでしょうか。
感謝はしてないでしょうね。「持つものは持たざる者に与えるは当然の義務」「与えさせてあげている」という考えの文化もありますよね。
そうですね。その時期の人々の心理をうまく利用してる物乞いさんもいますよね(笑)。まあ、でも、私は奪うより与える人間でいたいと思っています。
ギリシャでは社会制度はそこまで充実していなそうだけど、人と人のふれあいが濃密な社会という感じが。ジプシーというのも’文化’だしね。それなら、人とのつながりで小さな’愛’をあげる…というのもあり、かも。日本では…どうかなあ。
組織や団体に寄付したりするのは、「目の前にいる困っている人」を助けられないという点で、ちょっとなーと思ってしまいます。ユニセフのカードを買ったりはしますけどね。
難しいところです・・・
(再コメです)
社会福祉を学んだ者としてはlodnnerさんの”イギリスにおいては”の条件付きスタンスに共感します。やはり、自助努力を促す活動は大切です。
イリニとしては・・・
間接であっても、直接であっても、ドーロ(神からの贈り物、賜り物)の授受や配分のパイプ役・媒体だと信じることで、妙な気負いが無くなる気がしています。自身が信じる方法で行動に移せばいいのではないでしょうか?
自身を、与える者、与えられる者・・・という単純な構造の中で捉えてしまうと、いずれの立場であっても、日本人には気詰まりで難しい事になってしまうように感じます。
再コメントありがとうございます!ギリシャには自助努力を促す団体ってあるんでしょうか?あれば、何か協力したいと思います。微力ながら。
ギリシャと、イギリスのホームレスのおかれてる事情は大分違うと思うけれど。(イギリスでは軍隊勤務をした後に社会復帰できなくなったケースというのも多いそうです)。相手をとりまく文化や状況にもよると思うなあ。ギリシャは「人情」の濃い社会で、目の前の人をどうするか、っていうアプローチも有効なのかなと想像しますが。
「雑誌を売る」というレベルになったら、単なる「物乞い」から一歩成長しているわけですね。問題は、どうしたら、自立したいと本人が思うかだと思います。ということは、やっぱりあげてはいけないのかなあ?悶々・・・でも、あげちゃうだろうなあ・・・
一日良い思いをしたら、その人はその後を生きていくのがもっと辛くなってしまうような気がします。
ただ、ブルガリアは経済的に弱い国なので年金などの社会保障が薄く、寒い冬にお年寄りがゴミ箱を漁っている姿を見るのは心が痛みます。そういうお年寄りに限って野良犬に餌を与えていたりするので。
本当に、お金をあげることは、根本的な解決にはならないことは分かっているんですよね。でも、そういうお年寄り・・やっぱり気の毒です。
ぜひこれからもブログ頑張って続けてくださいね♪


