daughter

2月14日(火)

最近シャワーを浴びていると、上の子Eがすぐ覗きに来るので困っている。うちのトイレ兼シャワー室には鍵がない。

 

「パパと一緒に遊んでてね」といくら言っても、ドアを開けて入ってきて、シャワーカーテンをめくり、「あー、ママだー!」「シャワーね!」「シャンブアン(シャンプー)、サプーニ(石鹸)ねー」と嬉しそうに笑う。そして、指差して「ママのお尻」「おっぱい」とか言いながら、珍しそうに眺めている。

 

駄目と言えば言うほど、おもしがって私をからかうのだ。そうしているうちに、Eにも水しぶきがかかって、ぬれねずみのようになってしまう。そして、シャワーが終わると、ありがたくも(?)私の下着を持ってきてくれるのだ。「タオルあそこね!ママのパンツ!」

 

1日1クリックお願いします!→ 人気blogランキングへ 

ギリシャにいて、日本を懐かしく思うことは、やはり食事とお風呂である。私はお風呂、温泉好きで、日本ではお風呂の時間はいつも1時間、母は、私が中で溺れているのではと心配して声を良くかけにきた。温泉めぐりも沢山した。そういえば、子供たちとは、一緒にお風呂に入ったことは数えるほどしかない。子供たちも、ギリシャでは人間の裸の姿を見る機会はあまりない。(夏、ひなびた海水浴場に行けば、ヌーディストもまれにいるが!)

 

実家に子供を連れて帰省し、子供を抱いて湯船につかった時、なんともいえない幸福感を味わった。聖書にもあるように「私の骨の骨、私の肉の肉」という実感だ。聖書では、イブがアダムのあばら骨から作られた場面での言葉だが、私の場合は、子供が自分の肉体の一部から作られたのだということをあらためて実感し、そしてその奇跡に感動してしまったのである。

 

お風呂というリラックスできる空間の中で、慌しい一日からちょっと開放され、子供の爪の形・脚の指の形や長さの比率、肌の感触などをしみじみと確かめる時間や心の余裕ができる。そして、明らかに私や旦那の何かを受け継いでいる子供たちに、一層の愛情を感じることができた。また、湯船の中の楽しそうな子供の顔を見ると、9ヶ月間もお腹の中の羊水に浮かんでいた頃の記憶が蘇り、懐かしく思っているのかもしれないとも思った。

 

いつかギリシャで家を買うことがあったら(無理かなあ)、日本式のお風呂を特注したいものだ。今、子供がシャワーを覗きに来るのくらいは、裸の付き合いとして我慢しなければいけないかな?男の子だったら、ちょっと将来を心配するけれど!Eは、突然服を脱ぎだす癖があるので、そっちの方が心配??